茶色い沼からこんにちは

めせもあ。(MeseMoa.)の茶色担当の人をひっそり推してる女性の一人遊びです

弱い音も大事だよって話。

数年前の春、口が開かなくなりました。昔からよく顎関節症になっていたので気にしませんでした。

次に、突然肩があがらなくなりました。痛み止めと湿布で落ち着きました。

さらに、左足の付け根が痛く歩けなくなりました。それも痛み止めと湿布で落ち着かせました。

郷里の叔父が亡くなり家がバタバタしていた梅雨時、突然足首に引きつるような鋭い痛みが走りました。

その後、両手の親指が腫れあがり痛みが続く日々が始まりました。

すべて対処療法で乗り切っていましたが夏になると口は開かない、肩は痛い、親指が痛くて曲げられないという状況になっていました。

秋に入ると足の甲が痛くなり膝も痛くなり、寝ていても寝返りした瞬間に激痛で目が覚める、ボルタレンを飲まないと眠れない、休日は起きることもツラい。会社に行くのに毎日必死でした。自分の歩くスピードが杖をついたお年寄よりも遅いと気が付いたとき、息を切らして絶望しながら高架橋の下を眺めていたことを覚えています。

当時、私は欠員が出た新しい支店へ異動したばかりでした。前の支店で扱ったことのない商材を前に、中堅だったはずの私は一気に新人になりました。

何も出来ないという負い目。前の支店ではオールマイティな中堅だったというプライド。私は「使えない」と言われないように必死に、どんなにツラくても会社は休まず体が痛くても平気な顔で過ごしていました。

ですが突然電車の中で涙が出たり、電車に乗ることが出来ず電車をぼんやり見送ったり、そんな自分を叱咤したりダメなやつだと落ち込んだりしていました。

社内の人はみんな優しくて、出来ないことは当たり前だし頑張っていると言ってくれていたんですけどね。

それも有りがたくてツラかった。お客さんにも迷惑かけてるし、社内の人にも迷惑かけているし、自分は辞めた方が良いんじゃないかって悩んでいました。

 

近所のかかりつけ医が鍼も打ってくれるので痛みを改善するために通っていたのですが、そこで鍼を打ってもらってる最中に「よし、採血しよう」と

半ば強引に採血され、検査に出されました。

子どもの頃から診てくれている先生です。いつまでも治らない私がきっと心配だったのでしょう。 

 

結果は自己免疫疾患でした。

 血縁者にその病気になった人がいない私がその病気になった理由は、おそらくストレスだろうといわれました。

 

病気になってまで仕事をするってどうなんだろう。病気になっても会社は何もしてくれない。でも、別にブラックだったわけでもないし社会人はそうそう簡単に仕事を辞めたり休養したりという決断を自らに下すことは難しい。

それなら私はあのときどうすれば良かったのかって今でも考えます。

答えなのかはわからないけど今思うのは

過去の経験というプライドを捨てて出来ない自分を認めること。

ダメで当然なのだと許すこと。

弱音を誰かにきちんと話して苦しい自分を見せること。

それでもダメなら休む勇気を持つこと。

異動してからずっと、私は「出来ない自分」を許せませんでした。

許せないからずーっと自分を責め続け、休むことも出来ず、弱音を吐くことも出来ないまま自分をどんどん追い込んでいきました。

 

異動や転職・就職で新しい環境に飛び込む方にも、現職でツラくてくじけそうな方にも伝えたいのは、自分を追い詰め過ぎないでくださいということです。

社会人です、仕事です、金貰ってるんです、プロです。だから、簡単に手を抜けとも辞めてしまえとも言えません。

ですが、体を壊す前に一度自分と向き合ってみてください。強い音だけでは人は壊れてしまう。弱い音も大事なんです。

一日有休もらってずる休みしたところで世の中は引っくり返らない。普段真面目に仕事してるなら大丈夫。どうにも出来ないことだってある。焦る必要なんてないんです。

 

「出来ないことがあるからって、あなたという人間がダメってわけじゃない」

 

そして、現在体に不調を感じている方、軽視しないでください。

治療が遅くなって取り返しのつかないこともあります。

私の病気は早期の投薬で効果が高いものでした。ギリギリでした。

それでも私は今の医学ではこの病気と一生仲良くしていかないといけません。

現在わりと普通に日常生活を送っているとはいえ、前ツアー中も調子が悪いときはライブの途中に痛みで気が遠くなることもありました。

ちゃんと診てもらいましょう。若いから大丈夫なんてことはないんです。

 

時には自分を大事にしてあげてください。

自分の弱音に耳を傾けてください。

 

それじゃ、またね。