茶色い沼からこんにちは

めせもあ。(MeseMoa.)の茶色担当の人をひっそり推してる女性の一人遊びです

とりあえず書かねばいけないSPiCaの話

 茶推しとしての私は衰えた。

 前回そう書いた。それはそう。そうなんだけど。

 2026年野崎弁当40歳大聖誕祭、次々と襲いかかる演目に情緒がジェットコースターで何度も号泣していたわけですが、その中でも身体を震わせてアンコールでも思い出して涙が止まらなかった演目がある。

 

【SPiCa】

 

 このブログにもじつは何度か書いているのだけど、2015年HEAVENSROCKさいたま、野崎さんのソロで観たSPiCa。

 小さなライブハウスが闇夜の星空になった。あの数分だけ世界が変わった。違う場所に連れて行かれた。踊り終わったあと、静寂、そして涙と拍手。

 あの白服さんが「野崎弁当ワールドを作ってしまう」って絶賛していた、あのSPiCa。

 あれから私は、あれを観た茶推したちは、SPiCaに囚われてしまった。でも、

 「自分でも驚くくらい上手に踊れた、あのSPiCaを超えるようなものが出来るかわからない」

 そのようなニュアンスのことを推しが言っていたと耳にしたとき、SPiCaに囚われて希う思いが負担になってしまったのではと、SPiCaを観たいと言葉にしなくなった。

 それでも、あの美しくて儚い、流れ星のようなSPiCaは私の心から消えることはなかった。

 

 私はセトリ予測がとても苦手だ。当たらないというより思いつかない。

 だから「ニア」で涙したあとに号泣させられるとは思いもしなかった。

 あのときと同じ、指先まで神経の行き渡った美しい手、大事に積み重ねていく手振り、全力のジャンプ。

 だけど、あのときとは違った。

 美しく儚い流星は美しく強く輝く1等星(SPiCa)になっていた。

 私は泣いた。

 もう一度SPiCaを観られたこと。

 SPiCaを観て同じ気持ちで泣ける友達が隣にいること。

 あの日ともにSPiCaを観て、そしていま同じ気持ちで観ている人たちが会場中にいること。

 野崎さんの人生の歴史にあの日のSPiCaが存在していること。

 あのときのSPiCaを推しが超えられると思えたこと。

 そのすべてが濁流みたいに自分を押し流して帰ってこれない気がした。

 そうか、これが「尊い」という感情か。

 

 茶推しとしての私は衰えた。以前のように聖誕祭に向けて何か制作することもない。

 だけど、茶推しとしての想いはちゃんとここにある。

 

 あぁ、野崎弁当を推していて良かった。

推しが40歳になり茶推しも12年目になる話

 画面に並ぶハッシュタグが焦燥と自己嫌悪をチリチリと呼び起こした。

  かつての私はスタフラの企画側になったり下手ながらもイラストを描いたりネタ踊ってみたを踊ってみたり、推しの誕生日や凱旋に並々ならぬ情熱を傾けていた。

 しかし、推しが40歳になる節目の今年の誕生日。何の画像もネタも用意していない。それどころか、生放送の途中で寝落ちした。

 

 そして実感する。茶推しとしての自分は衰えた。

 

 茶推しになって11回目の聖誕。そこそこイイ歳でオタクを始めた私はさらにイイ歳になり、ハッシュタグに気がついた深夜にそこからイラスト描き始める体力がない。休日に気合入れて頭のおかしな動画を撮って編集する余力もない。

 推し変したわけでも気持ちが冷めたわけでもない。 リソースの問題で、事情により推し活自体がゆる活になっている。

 推し活がゆる活になること。なってしまっている、自分。その焦燥感のような罪悪感のような、自分への失望はこの半年ほど私を苛んでいた。

 

 私は複数の事柄に気持ちを分散させることが得意ではない。今はそういう時期で落ち着いたらきっとまた変わってくる。 そう考えて自分を納得させることが出来たのは、つい先週のこと。

 この自分への失望を抱えながらも私は聖誕に向けて何か特別なことはしないだろう。

 だって、来年も推しはいる。 そう思わせてくれること、それ自体が尊い。

 【40歳のアイドルなんて他にもいますしね】

 そう、推しが誕生日放送で言った。 誕生日を迎えることはめでたいこと。40歳をアイドルとして迎えられることは喜ばしいこと。

 でも、40歳超えてアイドルすることは殊更特別ではないんだ、というように。

 それは、私にとって希望だ。29歳の野崎さんを推し始め、今年40歳になった野崎さんを今も推していられること、毎年聖誕祭へ行けること。そのすべては当たり前のことじゃない。野崎さんがアイドルでいてくれたからこそ。 そして、今はゆる活である自分を許せること。それも野崎さんがこの先もアイドルでいてくれるからだ。

 

 他人の人生に情熱を向けること。それは気持ちの面でも物理的な面でも、どうしたって波が出てしまう。自分の人生があるのだから、当たり前のことだ。

 だけど、その波を上手く乗りこなしながら許容しながら末永く推していけたらいいなと思う。

 そんな優しい気持ちで推させてくれてありがとう。

 野崎弁当さん、40歳のお誕生日おめでとうございます。この先も野崎さんの人生を緩く強くのんびり激しく推していけますように。

野クソ弁当というシンメトリーでアンシンメトリーな関係の話

2025年5月17日 「phamtoM thief 〜code:M〜」愛知公演 ペア演目 野崎弁当、ノックソによる

「サターンズリング」

 

1部終了直後に落としたポスト(旧tweet)

死因 お耽美(野クソ弁当)」

 

ペア演目開始、二人がセンターではなく上手と下手に分かれてスタンバイ。あ、これはBecause of Youではない。無感覚的感傷性完全制御装置で名古屋城爆破でもない。チルノだったりしないよな……。

 

なんていう甘い茶推しの想像を全力でぶん殴ってきました。軽く見積もってすみませんでした。とんでもなく重いものを見せられた。あの頃の純な私を返して!!

踊り子さんのノックンが本当に美しくて繊細で、この世のものとは思えない気がしたんだよね。鞭で打たれる様さえ殉教者のように美しい。なんだか倒錯的な感じ。

そして野崎さんは神なのでね(この曲では)。余裕とどこか見下ろすような笑みを浮かべながら堂々といたぶっていくわけですよ。

そして何事もなくラスサビ。このまま終わったとしてもね、たぶん一騒ぎな演目だったと思うんです。

でも我々を野クソ弁当サタリン以前以降に分けられてしまう出来事、忘れられない呪いのような、これはもしかして集団幻覚だったんだろうかと思わせる展開が待ち受けていたのでした。

 

マイクを奪って野崎さんの口を塞ぐノックソさん(公式ポスト、LINEより)

こんな感じですね。(ノックソさんInstagram

 

(公式ポスト、LINE動画)

 

黒い衣装の背中に縋りつく野崎さんの白い手がまるでノックソさんに絡まる蔦のようで、震えるように這うその白い手は服従しながらも支配しようとしている。

そう、服従していたノックソさんが野崎さんを最終的に従わせたように。

オセロのように変わる盤面。白と黒。

ほぼ同じ身長にやせ形の身体、白い肌、体格的にはシンメトリーなのに全く違う性格と雰囲気を持っている。顔立ちは揃って耽美。耽美ではあるけど柔らかな美しさを持つノックソさんと精悍な美しさを持つ野崎さん。シンメトリーなはずなのにアンシンメトリーなのだ。

その不安定で美しい二人が、入れ替わる関係性をより際立たせて妖しい耽美な世界へ導いている。

最後の主従逆転、手に入れた悦びに綻ぶノックソさんの口元。そして背中を這う白い手。

しばらく戻ってこられなかったですね。

1部終わった後、茶推し3人なぞのため息を何度も漏らし、急に堰を切ったように語るか、「主従逆転」「手が……手が……」「美しい」「夢?都合のいい夢?」「映像くれ」などのうわ言を繰り返すという、2022年野崎弁当聖誕祭1部以来の演目に打ちのめされて戻れない現象が起きていました。

楽曲選択、構成、演出野崎弁当なんですね、野崎弁当→ノックソへの主従逆転劇ほんとに解釈の一致です、公式が最大手とはよく言ったものですが、これはBLなんてかわいいもんじゃないですよ、耽美、耽美ですよ。美の暴力です。我々は膝をつき屈するしかない。

 

サターンズリングは相方によって見え方が変わる演目で

vsぱんめんさん オリジナル。ぱんめんさんが野崎さん大好きでいてくれるので支配される神を妄信して愛の奴隷になっている。

 

vsまさやくん 当時10代だっけ。美少年が神の生贄に捧げられた禁断の見ちゃいけない世界。ギリシャ神話的な。

 

vsぷんちゃん 神に仕える神官が神によって召し出されて支配され鞭うたれるが、少しずつ従属の悦びに打ち震えるように変わっていく。

 

vsノックソさん←NEW 耽美。主従逆転が土星の輪のように延々と続いていく。支配し支配される関係。

 

勢いのまま書き始めたけど言葉で足りないし語れないや。映像ください。本当お願いします。

 

野くそ弁当はいいぞ。

 

 

 

 

誰にでもそれぞれの「36号線」がある話

「野崎さんは去年、エゾザクラを見ることが出来ただろうか」

 

2016年の春。自転車を漕ぎながら、咲き誇るソメイヨシノを見てぼんやり思った。

北海道で桜が咲くのはゴールデンウィークの時期。野崎さんが上京したのは3/31。

上京一年前、中野サンプラザ前のツアーと社会人生活の掛け持ちで忙しかった彼にゆっくり桜を見る時間なんてきっと無かっただろう。上京を決めていた時期だっただろうけど、東京で見ることは出来ない地元の桜を見納めになるなんてことまで意識はいかない。

人は誰でも日常にあるときは気が付かない。当たり前過ぎて、日常に埋もれてしまう。そして、日常じゃなくなるときに気が付くんだ。

 

「この先36号線」を聴いたときにまず思い出したのが、2016年の私の記憶だった。

──あぁ、野崎さんはエゾザクラを見ることが出来たんだろうか。

答えは歌の中にあった。

 

2回目に聴いたとき、私の中には一昨年まで通っていた道が浮かんだ。

銀行、ファミレス、コンビニ、畑、幼稚園、古い家の大きな桜。ずーっと続く片側一車線に申し訳程度の歩道。その道を自転車で走る。

異動前に毎日通った道。異動が決まってから「あと何回この道を走れるかな」と思ったこと。それでもあと僅かと知りながら、その日が来るまで実感もなく日常の忙しさに埋もれたこと。

なんでもない道、噛みしめることもないまま、そんなことを考えたことすらすぐに忘れていた。

その光景が浮かんで涙が出た。懐かしかった。

 

タイトルに付けられた36号線という国道から、きっと誰もが野崎さんの故郷、北海道を思い浮かべて彼の背景と重ねたと思う。でも、その一方で多くの人が自分が持っている懐かしい、過ぎ去ってしまった景色を見たんじゃないかとも思う。

街路樹、コンビニ、車線、電線、ファストフード銀行、並べられた言葉は具体的だけど、誰もが簡単に自分の景色として浮かべられる言葉。たとえばここで「ナナカマド」とか「セイコマ」とか「道銀」とか、北海道色の濃い言葉を使ったり、車窓からの風景を叙情的表すことで「野崎弁当のエモさ」を強調することも出来たはずだ。それをしないで、敢えて乾いた表現と感情を乗せることで誰もが心の奥に持っている、かつてあった日常を思い起こさせ、聞き手にリアルで静かな感傷を与えている。

「切ない」と百回書いても切なさは伝わらない。それを伝えるには確かな描写を重ねていくしかないのだ。

だから、これは野崎さんのソロでバックグラウンドに野崎さんの旅立ちが見えたとしてもそれだけじゃない。誰にでも当てはまる、野崎さんを知らない人でも心を掴まれる歌なんだと思う。

 

そして、今のMeseMoa.のようだなとも思った。

休憩時間に一緒にご飯買いに行ったり、冗談言って笑ったり、練習に追われたり、当たり前にそこにあるからカウントダウンを刻めない。

チケット取って電車や飛行機を取ってライブに行け笑顔の彼らに出会えるし、特典会取れれば話が出来る。当たり前にそこにあるからカウントダウンを刻めない。

あと何回って思うけれど、本当のところはきっと終わりそうになって気が付く。もしかしたら終わってしまってから気が付くのかもしれない。実感なんて今はない。

きっとみんなそうなんだ。為す術もなく、どうすることも出来ずに、時間は進んでいく。

そのときに何度も後悔して泣く。それは仕方ないんだ。

だけど、いつか振り返ったときにキラキラ輝いて見えたらいいな。

 

すごく個人的な感想を最後に。

「この先36号線」は季節なんてどこにもないのに冬の凛とした空気が見えた。蒼い明け方の澄んだ冷たい朝の空気。それはGoogle+で書かれた野崎さんのかつてのブログと同じに思えた。

変わらないからなのか、あの頃から積み重ねた今だからなのか。それはわからないけれど、凛とした冬の蒼い空気が見えたのが嬉しかった。

 

 

おわり

 

 

素直にワクワクしなかったことを後悔した話

我らのお台場パレットタウンが営業終了した。

我らとは何事か。そう言われると困るんだけど、我らとは「むすめんばー()だった我ら」のことだ。
いや、そんな呼称を自ら名乗ったことないけど。

むすめん。(現MeseMoa.)とお台場は関係が深い。
そう、かつて生誕祭はお台場にあった東京カルチャーカルチャーで行われていたのだ。
生誕祭だけじゃなく、秋祭りや夏祭りなどといったイベントも開催されていた。

そういったカルチャーカルチャーさんを使用するイベントで一大特典として待ち受けていたのが

半券の抽選で当選した人がメンバーと観覧車に乗れる

という企画だった(1:1ではなく2:2とか3:3)!

一大特典だと大壇上に構えながら何でこんなあやふやなのかと言いますと

「推しと観覧車とかなに話していいかわかんないし気まずいし。どうせ当たらないし。なんか期待したりドキドキするの良い年して恥ずかしいから嫌だな。どうせ当たらないし。ともかく自分には関係のない特典なんだろうな、どうせ当たらないし」

という射に構えまくったテンションで臨んでいたからです。
当時は推し始めで1番ドキドキワクワクして良い時期だというのに、そうするのが何か恥ずかしいことのように感じてしまい、
「どうせ自分には当たらない」という自己暗示をかけてその抽選から目をそらすようにして過ごしていたのです。
まぁ、当たりませんでしたけどね。

今日、パレットタウンの営業終了そして観覧車の営業終了の記事を読んで
様々な思い出(初めての生誕祭から肉フェス、ビーナスフォートのフリラなどなど)を振り返っている中で
ふと「メンバーと観覧車に乗れる」という特典を思い出したのです。
だけど、私にはその記憶がぼんやりで。どんなルールかも抽選がどんなかも、どんな気持ちで観覧車を見たのかも何も思い出せなくて
ただ(どうせ当たらないし)というネガティブな記憶がそこにあるだけなんですよね。

当たるかな? 当たったらいいな。当たりたいなー。
そんな明るい気持ちでドキドキしながらそのイベントを素直に楽しめたら、また違う記憶があったのかもしれない。
「イイ年して大人気ない」
「気まずいし自分じゃ相手も気まずいだろう」
「当たるわけない」
「期待するなんて恥ずかしい」
そうやって防御のために射に構えまくっていても、何も記憶に残らないんだな。

あんなに大きくて綺麗な観覧車が無くなってしまうなんて思いもしなかった。
寂しい気持ちになるのに「こんな企画あったな……」だけで何も思い出せないのは意外と悲しい。
「当たったらどうしようってドキドキしたよね!」 なんて懐かしい気持ちで振り返るほうがきっと幸せな気がする。

もっと素直にドキドキワクワクを楽しめば良かった。

これからは、私くらいは私自身のドキドキワクワクを否定しないでいけたらいいな。きっとまた後悔するから。

そういうことに気がつかせてくれたお台場パレットタウンの営業終了。

今までありがとうございました。お疲れ様でした。

愛猫の死と「庭の樹」

今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

2年前の7月。愛猫を亡くした。16歳だった。

 

6月末日に突然具合を悪くし一週間近く入院をして、回復の見込みがないので自宅で看取ることにした。退院した翌日、家族に見守られて愛猫は逝った。

苦しむ姿を見せず、獣医師に渡された麻酔を使わせることなく、ままごとのような看病の時間を与え、最期のときを知らせてちゃんと見送らせてくれた。

推しの凱旋、愛猫が退院した日は札幌公演最終日だった。私は前乗りして札幌2daysを楽しみ、翌日は茶推し仲間と北海道旅行をする予定だった。

その日使うことがなかったチェキ券を今でも捨てられずにいる。

 

いつまでも泣いていてはいけないので、日常を取り戻す努力を家族は始めた。母は趣味を再開し、私も埼玉のライブからツアー参戦を再開した。

最終日の御殿場公演は二日間通いのつもりだったが、思い切って宿を取って泊りがけで参戦もした。

ファンミーティングも当たり初参加もした。台風で1日中止になったものの、大阪のチェキ会も泊りがけで行った。

年越しライブは前乗りして茶推し仲間と京都にも行った。

楽しい時間を過ごしている。推し事を心置きなく楽しくできている。

普段通り、通常通り。

でも、自分の中の何かよくわからないところが変わってしまった。

そのことにちゃんと気が付いたのはわりと最近のこと。

あの柔らかくて愛想のない、尖った耳が愛らしくて抱っこが嫌いな生き物。

夜にベッドにやってくると重くて暑くて寝られない生き物。

両親が泊りに行ってしまうと、その存在が気になって遠征も出来なくなってしまう生き物。

いつだって心のどこかで気になっていて、たとえば運転をしているときも一匹残しては死ねないとハンドルを握り直すような存在。

重しのようで、面倒なようで、どこまでも愛おしい。

その存在が消えてしまって私の中に重しが無くなって、どこかフワフワと足がつかない感覚が続いている。

足が地に着かないまま推し事をしていると、ライブを観ているその瞬間は楽しくて仕方ないけれど、一方で何か不安感が常にある。

そうか、これが「心にぽっかり穴があく」ということなのか。

二年も経って気が付くなんて鈍いにも程がある。

 

埼玉公演で私は「ラブラブチュッチュイエイイエイイエイ」に号泣する心配しかしてなかった。猫ちゃんを歌った歌で、愛猫が元気だった時から泣き所ソングだったからだ。

でも、思わぬ曲で涙が止まらなかった。

「庭の樹」

 

ちなみに今は「ラブチュ」を聴いても涙が出ない。ただただ楽しい気持ちで聴いている。あれは、現在進行形で猫を飼っている人が、家で待っている猫を想って涙しちゃうのだろう。

 

しかし、「庭の樹」を聴く勇気は今の私にはない。絶対に泣いてしまうから。

 

「君のぬくもり やらかさ 愛しさ 儚さ 消え去ってしまう」

忘れないようにってあんなにも撫でた頭の感触、ふわふわの毛、よく動く尻尾の先。尖った耳の冷たさ。柔らかな手。それなのにもう忘れかけている。

 

「街の店先 人混み 待合所 交差点 探してしまう」

「君と似た髪 残り香 服の色 話し声 目で追ってしまう」

だって探してしまう。よく似た柄の、よく似た鳴き声の、よく似た視線のあの子を。

家の中で、ベランダで、その気配を、面影を。

長らく着ていなかった冬服に付いた毛を捨てることも出来ずジップロックに集めてしまう。だって、もう増えることはないから。

愛猫が亡くなって一番堪えたのは、その瞬間から愛猫のことを話す場合、すべてが過去形になってしまうこと。それが嫌だった。

そして私はいまでも愛猫を過去形で語ることが出来ない。

 

いつか心の穴が少しずつ埋まっていって、愛猫を過去形で笑顔で語れる日が来たら、「庭の樹」をちゃんと聴けるだろうか。

早くそんな日が来て欲しいような、来てしまう日が怖いような複雑な気持ちで

私は今日も「庭の樹」を外したプレイリストを聴いている。

 

 

MeseMoa.幕張メッセ公演と35歳になった推しの話

今回のライブに行けなくても、またライブはあるから。

そう言えていたのは一年以上前の話。

 

MeseMoa.の幕張公演は開催されるかどうか本当に綱渡り状態だった。

開催できたことは奇跡だと思った。暴風雨さえ彼ららしいと思った。

 

 

二階正面のスタンド席、後ろの方。メインステージからは遠く顔だって見えない。

それでも大きなところでライブが出来る奇跡を、夢がまた叶う瞬間を味わう醍醐味にワクワクしていた。

ただ、泣くことはないだろうなと思った。

ライブ自体は豊洲で何度か行われていたから、そのときほどの涙は出ないだろうと

私は高を括っていた。

 

結論として、悔しいことに私は泣いた。

幕張メッセという大きな舞台で、推しが自分で勝ち取ったセンター曲「New Sunshine」を

踊り歌う姿には掛け値なしで泣いた。

 

オペラグラスは持たずに行った。見えなくても自分の目で観たかったのだ。

それでも私には推しがちゃんとわかった。同じ色の衣装で顔もよくわかんないのに目が吸い寄せられる人が野崎さんだった。

ファンからすれば当たり前かもしれないけど、そんな自分を初めて誇らしく思えたし自信を持てた。

 

「私は意外とちゃんと野崎さんのことを観てきたんだな」

 

たぶんよくわかんない話だと思うけど、幕張メッセのライブで私は自分が推してきた道程を振り返るような不思議な気持ちになったのだ。

 

出会った頃。彼らはモーニング娘。さんの音源を流してカバーダンスを踊る人たちだった。

「踊ってみた」から出てきた「踊り手」さん。

だから、ライブで観ると正直歌は上手と言えなかった。

でも彼らは「踊り手」なんだから仕方ない。だって歌は専門外だもん。

それがどうだろう。いつの間にかハモリは当たり前、三声、場合によっては四声で

コーラスグループのように歌う。しかも踊って歌う。

そして幕張でイヤモニをつけて初めてライブをしたら、ビックリするくらい音が外れない。ちょっとのズレさえほぼない。

泣きながら踊りながら歌ってもブレない。

「踊り手」なんだから「歌が下手でも当たり前」。

そんな評価はいつの間にか消えて

「歌が武器の一つ」になっていた。声の響きで人を感動させることが出来る「アイドル」になっていた。

 

アンコール後の挨拶。

エースで常に自信に満ちたあおいくんがコロナ禍での不安だった一年を語った。

リーダー白服さんは現場に来た人が一抹の罪悪感や後ろめたさを感じながら来ていること、来られなかった人が申し訳なさを感じていること、それらすべてを掬い上げて肯定し、選択をする苦しさや切なさを労ってくれた。

突然降りかかった世界レベルの厄災に

ライブは日常のものでは無くなってしまった。

去年の春先は、今を我慢したらきっと梅雨ぐらいにはライブに行けると思ってた。

でもそんなことはなくて、エンタメ自体が悪のように言われるようになった。

秋頃から各地で恐る恐るとライブが行われるようになって

今も誰もが行ける状態ではなく、日常だった趣味は慎重に慎重を期す一大イベントに

なってしまった。

彼らの不安や渇望は、初期から彼らを支えてきたhalyosyさんの手で歌となり彼らの声で私たちに届いた。

「夢は努力を裏切る 平等なんて叶わない そんなのとっくに知ってる」

「なのに何一つ諦められない」

「君に会いたくて 君に会いたくて 君に会いたくて 君に会いたくて」

「今すぐ名前を呼んでよ」

求めるように伸ばされた腕に、涙混じりの歌声に、それでも美しく交差する彼らの舞に、涙を止めることなんて無理だった。

何一つ諦めないでくれてありがとう。

ライブをしてくれてありがとう。

あんな広い会場で少しでも近くに来ようとトロッコから手を振ってくれてありがとう。

今すぐ名前をコールしたい。接触とかトークコールとかじゃなくて

ライブ中にあなたの名前を呼びたい。

出会ってから7年。そうやって名前を呼んで画面の向こうじゃない君たちに私は夢を貰っていた。

 

そして幕張メッセ公演前日に35歳になった推し、野崎弁当は「もっともっと」という言葉を使った。

Zepp公演でも野崎さんは「もっともっと」と言っていた。

あれから6年。歌もダンスも本当に上手になって、外部の仕事もするようになった推し。

それなのに「もっともっと」と上を目指す声はあの頃と同じに聞こえた。

そのことがどうしようもなく嬉しかった。人は変わるし、変わらなきゃいけないこともあるけれど、35歳になった野崎さん、変わらないでいてくれてありがとう。推していて良かった。幕張に立てて良かった。

いつか武道館に立った日に、同じように「もっともっと」と言ってくれたらいいな。

それを無数の茶色い光の一つになって見つめることが私の新しい夢だ。

 それでは、またね。