茶色い沼からこんにちは

めせもあ。(MeseMoa.)の茶色担当の人をひっそり推してる女性の一人遊びです

素直にワクワクしなかったことを後悔した話

我らのお台場パレットタウンが営業終了した。

我らとは何事か。そう言われると困るんだけど、我らとは「むすめんばー()だった我ら」のことだ。
いや、そんな呼称を自ら名乗ったことないけど。

むすめん。(現MeseMoa.)とお台場は関係が深い。
そう、かつて生誕祭はお台場にあった東京カルチャーカルチャーで行われていたのだ。
生誕祭だけじゃなく、秋祭りや夏祭りなどといったイベントも開催されていた。

そういったカルチャーカルチャーさんを使用するイベントで一大特典として待ち受けていたのが

半券の抽選で当選した人がメンバーと観覧車に乗れる

という企画だった(1:1ではなく2:2とか3:3)!

一大特典だと大壇上に構えながら何でこんなあやふやなのかと言いますと

「推しと観覧車とかなに話していいかわかんないし気まずいし。どうせ当たらないし。なんか期待したりドキドキするの良い年して恥ずかしいから嫌だな。どうせ当たらないし。ともかく自分には関係のない特典なんだろうな、どうせ当たらないし」

という射に構えまくったテンションで臨んでいたからです。
当時は推し始めで1番ドキドキワクワクして良い時期だというのに、そうするのが何か恥ずかしいことのように感じてしまい、
「どうせ自分には当たらない」という自己暗示をかけてその抽選から目をそらすようにして過ごしていたのです。
まぁ、当たりませんでしたけどね。

今日、パレットタウンの営業終了そして観覧車の営業終了の記事を読んで
様々な思い出(初めての生誕祭から肉フェス、ビーナスフォートのフリラなどなど)を振り返っている中で
ふと「メンバーと観覧車に乗れる」という特典を思い出したのです。
だけど、私にはその記憶がぼんやりで。どんなルールかも抽選がどんなかも、どんな気持ちで観覧車を見たのかも何も思い出せなくて
ただ(どうせ当たらないし)というネガティブな記憶がそこにあるだけなんですよね。

当たるかな? 当たったらいいな。当たりたいなー。
そんな明るい気持ちでドキドキしながらそのイベントを素直に楽しめたら、また違う記憶があったのかもしれない。
「イイ年して大人気ない」
「気まずいし自分じゃ相手も気まずいだろう」
「当たるわけない」
「期待するなんて恥ずかしい」
そうやって防御のために射に構えまくっていても、何も記憶に残らないんだな。

あんなに大きくて綺麗な観覧車が無くなってしまうなんて思いもしなかった。
寂しい気持ちになるのに「こんな企画あったな……」だけで何も思い出せないのは意外と悲しい。
「当たったらどうしようってドキドキしたよね!」 なんて懐かしい気持ちで振り返るほうがきっと幸せな気がする。

もっと素直にドキドキワクワクを楽しめば良かった。

これからは、私くらいは私自身のドキドキワクワクを否定しないでいけたらいいな。きっとまた後悔するから。

そういうことに気がつかせてくれたお台場パレットタウンの営業終了。

今までありがとうございました。お疲れ様でした。