茶色い沼からこんにちは

めせもあ。(MeseMoa.)の茶色担当の人をひっそり推してる女性の一人遊びです

2020年が終わるので推しのことを語る話

こんばんは。茶推しです。

正直、なんだかよくわかんないうちにもうすぐ2020年が終わろうとしています。

 

実感がないまま桜が咲いて散って、いつの間にか半袖を着るようになって

ふと気が付けば銀杏が黄色い絨毯を踏み、今はもうコートを着て北風の中通勤してたりする。

季節が進むたびに「まだ三月のような気がするのにな」って思う。

 

三月。MeseMoa.の全国ホールツアーの一部中止が決まった月。世界が変わっていく足音をすぐ背後で聞いた月だ。

 

四月にトークコール会が始まって、最初の日に聞いた推しの声は安堵に満ちていた。

お互いが存在していることにホッとしている声。

特に何かを話したわけじゃないけれど、なんだか一番印象に残っている接触だ。

そこから、推しと直接会わない世界がスタートした。

 

変なもんだなって思った。

一年のほとんどがライブ期間だったような昨年ではありえないほど、

いろんな供給があった。

緊急事態宣言下ではフォーゲルさんの放送が頻繁にあって

緑推しではない私は普段あまり接したことのないフォーゲルさんの姿を

生放送という形でたくさん知ることが出来た。

ガッツリ単推しな私だけどペアライブで他のグループのメンバーのことを、こんな人で、こんな踊り方、歌い方をするんだなぁと少し知ることも出来た。

自分の体に不安があるので客入れのライブに不安があったから

オンラインでのライブは本当にありがたかったし、仕事でリアルタイムに観ることが出来なくてもアーカイブで観られることや何度も見返せることも新鮮だった。

時間が合えば色んなメンバーの放送を見て、

ペアライブやソロライブの気に入ったライブを何度も見返して

いろんな方法で何度も開催された全員放送に笑って、

Galaxy5のライブに涙して、あぁそこに行きたかったなぁ、メンバーはもっとだろうなぁなんて思って

こんな情勢にも関わらず推し事には事欠かない一年だったのは驚くべきことのような気がする。

 

個人的な話。

私は喋り下手で緊張しいで考え過ぎなタイプなので接触が不得意です。

とくにオンラインやトークコールは現実に目の前にいるより難しい気がします。

「推しなんだから緊張して当たり前。それが推してるってことだ」と開き直っても

やっぱり無言になったり、盛り上がりもなく上っ面な会話で4分間過ぎ去ったときなど、地獄の淵をぼっちで散歩してるような気持ちで心細く泣きたい気持ちになります。しばらく立ち直れません。もう世界終わった。人間失格、グッドバイ。

 

 

直接感想や想いを伝えられるなんて有難い機会なのに、

いつだって自分の不甲斐なさのせいで接触のあとは少し苦しい。

他のメンバーならただ楽しいだけで接触できるのに

前沼のミュージシャンも芸人さんもめっちゃ活躍していて

今でも観れば楽しい気持ちになるし満たされるのに

 

それでも野崎さんを推すことをやめられないのは何故だろう。

どうしたって視線が野崎さんを追ってしまうのは何故だろう。

 

遠征に行くことも友達と直接会って話すこともなく

自分ひとりで推し事をする時間が多かったからだろうか。

そんなことも考えた。

 

接触上手く話せなくて悲しくてツラくて自分に嫌気がさして、接触卒業しようかなって思い悩んで

それでも、ソロのステージを思い出すと

私は何度だって胸を突かれてしまう。

あのソロライブを見返すたびに何度でも涙が出てしまう。

一人でシナリオを考え、他と違った世界を作り、表現した。

そのために本来の曲が持ってるメッセージとは別のメッセージを

歌詞を変えるのではなく表現一つで表した。

ライブを重ねるたびに変わっていく歌唱にもいちいち驚かされる。

この一年で何度となく変化を見た。客前に出ていないはずなのにどうして。

どうしてそんなことが出来るのですか?

けっして器用な人ではない。そんな人が舞台というきっかけから掴んだ交友関係を広げて

新しい世界に踏み出して、外部の世界でMeseMoa.の名前を広げて

客入りのないライブを重ねながら歌の表現を深化させて

ダンスは苦手って言いながらもきちんと難しい振り付けに食らいついていき

ソロライブでは観客を別の世界に連れて行ってしまう。引き込んでしまう。

その努力に、才能に、私は何度だって沼落ちしてしまう。才能ってずるい。

だけど、それが私が野崎さんを推し始めた原点。

いろいろ考えた末の原点回帰。そんな2020年。

 

2020年11月。豊洲のリリイベ。実感もなく席に座って開演を待っていた。

(やっと生で観られる)みたいな感慨もなく。

だけどいつもの出囃子が鳴った瞬間、涙が出てきた。あとはもう踊って歌う姿を見てるだけで涙が止まらなかった。存在が救いだと思った。持ってて良かった推しタオル。

 

だから私はきっと2020年やそれ以前と同様に、ぎこちない接触を繰り返しながら

2021年も野崎弁当推しで生きていく。

 

それでは、またね。